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パレスチナ
パレスチナ難民キャンプレポート~正しいのは誰なのか~(パレスチナ)
アンマン市内からバスでおよそ15分。ダウンタウンの南側に位置するこのパレスチナ人の難民居住区は「ワヒダット・キャンプ」と呼ばれている。ここには約5万人が登録をされており,パレスチナから逃れてきた人々が身を寄せ合って生活をしている。
「難民キャンプ」と聞くと,ボロボロのテントに極貧の生活…という世界をイメージする かもしれないが,実は「難民キャンプ」と名前がついている居住区の全てがそのような場所であるわけではない。ワヒダット・キャンプも同様で,そこはまるで巨大なスーク(市場)になっており,人々の活気もある。その様子だけを見ていると「あれ?ここに本当に難民が住んでいるの?」という錯覚におちいりそうになる。
ワヒダット・キャンプの中には数か所に学校があって,男子と女子が完全に分けられて学習をしている。そのことを事前に知っていたわけではないのだが,キャンプの中を歩いていたら学校を見つけたので,少しだけ訪問してみた。すると!寄って来る寄って来る,大勢の子どもたちが!おかしを売っている大人まですごい勢いでからんでくるではないか!
この人なつこさは特別なことではない。イスラム圏を旅していると,このような状況は日常茶飯事である。
彼らは僕の腕を引っ張り,「welcome ! welcome!」と,頼んでもいないのに僕を校内へさそいこむ。そして僕を,校庭の隅っこにいた先生の前に連れて行ってくれた。
しかし,旅をする中で出会う子どもは要注意な存在でもある。そのかわいさを利用して,近づき,気を引いている間にバッグを開けたり,ポケットからお金を抜き取ったりする。だから,子どもが大量に寄って来たときは要注意!必要以上に絡ませないことも大事なのだ。
僕は注意を払いながら,彼らの案内に従った。「何か言われてしまうかな……」と,ちょっと恐れていたら,「ヨルダンへようこそ!ささ,中に入って!」と,別の先生が校長室まで案内してくれるではないか!たまたま通りがかったどこの馬の骨とも分からない旅人の僕なのに,こんなに親切に対応していただいてなんとありがたいことか……と思いつつも,こんなに簡単に中に入れて,僕が悪者だったらどうするんだとか,何か裏があるんじゃないか,といろいろ詮索をする自分がいた。
「親切心」を疑うのは良くないが,親切な人は特に注意をしないといけない。それは世界を旅する上での鉄則である。下心いっぱいの人もたくさんいる。僕たちのような旅人は「親切心」に助けられて旅を続けているのに,その「親切心」を疑わなければならない。その矛盾が,本当はとても嫌だ。
校長室の中には数人の先生方がいて,校長先生と思われる方が僕の案内をしてくれた。彼の名はYahiaさん。校内のことはもちろん,ワヒダット・キャンプのことも詳しく案内してくれた。 しかし彼との会話が,僕にパレスチナ問題の根深さをまじまじと感じさせた。
僕が「イスラエルに……」と発言したとき,彼の目つきが変わった。
「イスラエル?なんだその国家は?そんなもの,この世には存在しない!」というセリフを言ったわけではないが,彼の目はそう語っているようだった。彼は僕にさとすように話してくれた。「ここはイスラエルじゃない,パレスタインという国家だ。」と。
わずかなやり取りだった。でも,「イスラエルを認めない」その姿勢を感じたとき,僕はいまだに続く紛争を肌で感じたような気がした。僕が「イスラエルとパレスチナの状況について,わずかですが理解しているつもりです。」と発言したとき,彼の目つきがまた変わった。
「理解している?そうですか,ではあなたの国はイスラエルを支援しているのを知っているのか?」と,今度はしっかり発言をした。それは知っていた。日本とアメリカは同盟関係にあり,国策としてはアメリカ側につく他はないのだろう。
僕はいまだに続く紛争を肌で感じたような気がした。 僕が「パレスチナの難民キャンプに,少しでも力になりたいと思っているんです」と発言したとき,彼の目つきはさらにきびしくなった。
「力になりたい?じゃあ,今あなたは何をしてくれるんだ?」と,これもハッキリと発言した。 僕はすぐには何も言い返せなかった。そして,少し間を空けて僕は言った。「僕は日本で教育活動をしている。だからここでの現状を少しでも日本の子どもたちに伝えて,関心を持たせたい。それが一番の貢献だと思っている」と。
彼は少しだけ笑った。そして,「ぜひそうしてほしい。ここでの真実を,何が正しいのかを,パレスタインの現実を,日本に伝えてほしい」と,彼は小さな声で力強く話してくれた。そのとき,僕は少しだけ彼と心が通じ合ったような気がした。
いまだに続く紛争を僕は肌で感じた。やはりここは「パレスチナの難民が居住している難民キャンプ」なのだ。一見すると,そこは平和なスークにしか見えない。活気もある。でも,ちょっと踏みこんで話をすると,そこには言葉にならない感情と長く長く続いている対立がある。大量の血が流され,多くを失った人々がここにいる。
僕は日本で生まれ育った日本人であり,パレスチナ紛争の痛みを直接味わったことはない。しかしここには,その「痛み」のまっただ中にいる人々が住んでいる。
正しいのはどちらなのか?イスラエル?パレスチナ?ユダヤ人?アラブ人?・・
もし僕が同じような状況でユダヤ人と話をしたら,きっとまた違う答えが出てくるのだろう。あまりにも根深い,この対立。何でこうなってしまったのだろうか。何がいけなかったのだろうか。誰のせいなのか。僕たちにできることは何かあるのか。
パレスチナ難民キャンプの学校を訪問できたことは,僕にとっては本当に大きな財産になった。でも,心の中ではモヤモヤが張りつめていた。
帰りのバスの中で,僕は一人考えた。「俺にできることって何なのだろう。」と。
パレスチナ
自治政府所在地 | ラマッラ |
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面積 | 約6,020平方キロメートル(西岸地区5,655平方キロメートル(三重県と同程度)。 ガザ地区365平方キロメートル(福岡市よりやや広い)。) |
人口 | 約495万人(2017年,パレスチナ中央統計局(PCBS)) (西岸地区 約300万人,ガザ地区 約194万人) (注)パレスチナ難民数:約587万人(2017年,UNRWA) (西岸100万人,ガザ144万人,ヨルダン229万人,シリア62万人,レバノン53万人) |
言語 | アラビア語(2006年以降) |
宗教 | イスラム教(92%),キリスト教(7%),その他(1%) |
- ▼パレスチナ自治政府とは?
- 1993年のオスロ合意に基づいて設立されたパレスチナ人による自治機関のことだよ。ヨルダン川西岸地区のラマッラに本部を置き,ガザ地区および西岸地区の約40パーセントを管轄するんだ。
国連加盟国の多くの国がパレスチナを国家として承認しているが,日本や欧米諸国は未承認。2012年12月,国連オブザーバー国家の地位を獲得したよ。 - ▼パレスチナ難民とは?
- 1948年にイスラエルが成立した際,多くのパレスチナ人が故郷を追われ難民となったんだ。その後さらにイスラエルが支配地域を広げると,また難民が発生した。その子孫を含めると,その数400万人以上と言われているんだよ。
人々の故郷に帰る権利をパレスチナ側は主張しているけど,イスラエルはそれを認めていない。イスラエルとパレスチナの和平交渉における,最大の難問の1つとなっているんだ。