ブエノスアイレス,華やかさの裏の子どもたち
僕はブエノスアイレスという町は,平和で美しく華やかな町だと想像していた。そこには何の根拠もなく,「アルゼンチンの首都ブエノスアイレス」という響きとイメージだけで想像をしていた。
もちろんブエノスアイレスは良い町だ。特にカラフルに彩られたボカ地区は最高に美しく,人々も陽気で,町を歩いているだけでウキウキワクワクしてしまう。中心部には高層ビルが立ち並び,沿岸部はしっかりと整備され,さすがは一国の首都!という町である。
しかし,そこには裏があった。
それはブエノスアイレスに限らない。世界の多くの町,特に大都市になればなるほど,その裏には別の顔が存在する。
それは「貧困」という現実である。
僕はパラグアイのエンカルナシオンという町からバスに乗り,陸路で国境を越えてアルゼンチンに入国した。ちなみにこの「陸路の国境越え」というものは日本にいる限り体験できないものなので,ぜひ多くの日本の若者にも一度体験してほしい。「この線を越えたら国が変わる」という現実を目にすると,なんとも言えない不思議な感覚を覚えると思う。宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士は「そこには国境は見えません」と発言していたが,地上には確かに国境が存在するのだから。
ブエノスアイレスのバスターミナルはとてつもなく大きい。それもそのはず,広大な南米大陸では縦横無尽にたくさんのバスが行き来しているのだ。一国の首都のバスターミナルともなれば,かなりの数のバスが日々発着しているのである。
バスを降りた僕は,まずは宿泊する予定の安宿へ向かった。バスターミナルを出て中心部に向かって歩いているとき,僕は驚愕の光景を目にした。
なんとバスターミナルの裏側には,大きなスラム街が広がっていたのである。
「ブエノスアイレスのバスターミナル近辺は治安が良くないので注意すること」と,どこかのガイドブックに書いてあったことを思いだした。なるほど,こういうことだったのか・・・。
「犯罪に巻き込まれるわけにはいかない,注意して歩こう」そう思った矢先に起こったのが今回の話である。
横断歩道で信号を待っているときだった。兄弟と思しき二人の男の子が,僕の目の前に現れた。
彼らは僕に向かって「マネー,マネー」と言いながら手を出してきた。物乞いである。恐らくすぐ近くにあるスラム街に住んでいるのであろう。
悲しい話でもあるのだが,このような物乞いの子どもたちは世界中に存在する。当時,すでにアジアを中心に数多くの発展途上国を訪れていたので,変な言い方であるが物乞いの存在と対応には慣れていた。僕は彼らを相手にせず,そのままやりすごそうと思っていた。
そのときだった。
一人の男の子が,僕の膝を蹴飛ばしてきた。それもかなり強い蹴りだ。
目をそらしていた僕はさすがにビックリした。足を蹴られたので少し前かがみになり,「うお,何事だ?俺に蹴りを入れてきたぞ?」と驚いていると・・・
もう一人の男の子が間髪入れずに僕の後ろのポケットに手を入れてきた。いつの間にか後ろに回っていたのだ。「あ,こいつら・・・!」と,振り返りながら僕が後ろのポケットの手を振り払おうとすると,なんと!正面から蹴りを入れてきた男の子がその隙を見て,僕の前ポケットに手を入れようとしてきた。
前ポケットには,左側に現金,右側にはデジカメが入っていた。いくらなんでもそれを盗られるわけにはいかない。直前で正面の男の子の動きに気づいた僕は激しく手を振り払い,強い日本語で罵った。
「コラ,お前らいい加減にしろ!」
僕からスリをすることができなかった彼らは,そのまま立ち去っていった。あのチームワークの良さは,今思い返してみてもすごかった。きっと何度も同じ手で旅人からスリを働いてきたのだろう。
正直,その一瞬は男の子たちに腹が立った。また同時に,何も盗られなくてよかったと安堵したのだが・・・。
その後僕は考えた。僕はいったい何に腹を立てるべきなのだろう。
彼らは間違いなく,僕個人に恨みがあるはずはない。彼らは,はたして好き好んで強盗まがいの行為をしているのだろうか。
きっとそうではないだろう。生きていくために,やむにやまれず犯罪行為に手を染めているのだろう。
僕はたまたまブエノスアイレスという町でこのような事態に遭遇したのだが,同じような境遇の子どもたちは世界中に山のように存在している。苦しい状況の中で生きている子どもたちは,この子たちだけではない。
僕は宿泊した安宿のオーナーに,この日の出来事を話してみた。このオーナーはアルゼンチンに数十年在住している,知る人ぞ知る日本人女性なのである。
「アルゼンチン,特にブエノスアイレスにはたくさんの問題があるのよ。華やかな町だと思った?とんでもない!課題はいっぱいあるのよ。」
彼女はそう話してくれた。そしてこう続けていた。「日本は本当にすごいのよ!安全だし,驚異的な経済発展を成し遂げてきたんだし。ここに泊まりに来る日本の若者はみんな同じことを言うわよね。日本が素晴らしい国なんだって,旅をしてみて初めて分かったって。」
ブエノスアイレスでの出来事は,あまりにも衝撃が大きかった。富とはなんだろう,貧困とはなんだろう。日本では今のところ,ブエノスアイレスのような大規模なスラム街が広がるような現状ではないけれど,先のことは誰にも分からない。若者よ,これからの世界のことを一緒に考えていこう!