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ルワンダ

ルワンダ

多文化・他民族の共生を目指して~げきぎやくさつげんから~(ルワンダ)

 時代のしんてんは,人間のしんてんを意味しない。文明の発達は,人間の発達を意味しない。
ぼくは人間なんて「そんなもの」だと思っている。そのことを感じさせる世界が,このルワンダにはある。

 今から約20年前,ルワンダで民族対立によるだいぎやくさつが起こってしまった。はいけいふくざつであり,それでいてたんじゆんで,またたんじゆんでもありふくざつでもある。
ルワンダのジェノサイド(しゆうだんぎやくさつ)のげきは,まさに「りんじん殺し」だったことだ。ついこの前までいつしよらしていた2つの民族がとつじよ対立にまれ,そしてだいぎやくさつにつながってしまった。その数は,わずか100日間で80万人におよぶと言われているが,せいかくな数は分かっていないという。

 1994年4月6日に発生した,ルワンダのジュベナール・ハビャリマナだいとうりようとブルンジのシプリアン・ンタリャミラだいとうりようの暗殺が始まりだった。それからルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダをせいあつするまでの約100日間に,フツ族けいせいとそれに同調するフツげきによって,多数のツチ族とフツ族のおんけんが殺害された。

 このジェノサイドのはいけいには,かつてこの地を植民地にしていたフランスやベルギーのえいきようも大きいという。かれらが対立のこうを作り出したとも言われているし,フランスはぎやくさつにもたんしたとも言われている。ぎやくさつが行われている間,フランス軍はバレーボールにきようじていたという話も聞いた。

 ぼくはルワンダへは,りんごくのウガンダからバスで入国した。ルワンダのビザを取得するのには少し苦労したが,なんてことはない,そんな苦労も旅の思い出。ウガンダの首都カンパラで無事にビザを取得し,夜行バスでルワンダの首都キガリにとうちやくした。

 キガリには,このジェノサイドについての博物館もあった。そこでできる限りの勉強もしたうえで,ぼくはニャマガベという街にあるぎやくさつの記念館をおとずれた。
ここは昔学校だったという。当時ここになんしていた5万人の人々が,ぎやくさつの対象になってしまった。
とてもれいな町でおだやかな空気が流れ,美しい緑に囲まれているニャマガベ。こんな場所で目をそむけるようなぎやくさつが行われたなんて,にわかに信じられない。

 しかし,記念館の建物の中には,ぎやくさつされた人たちの無数のミイラがならべられていた。
どうひようげんしたらいいのか分からないのが,そのミイラ1つひとつに,ぼくたましいを感じた。というのも,それぞれのミイラにひようじようがあるのである。

 さんさいむかえることになってしまった人々のつうな声が,そのひようじようきざまれているのである。その顔1つひとつが,ぼくに何かをけているようだった。
写真さつえいきんされていた。しかし,それ以上に人としてカメラを向けようとは思わなかった。

 対立をしてしまったこの2つの民族,フツ族とツチ族は,その直前までいつしよに生活をしていたという。まさに「りんじん」だった。
  しかし,ほんのわずかに歯車がくるってしまった。それだけのことなのだ。おたがいにうらみ合っていたわけではない。おたがいににくしみ合っていたわけではない。それなのに,ほんのちょっと歯車がくるっただけで,人間はきようの殺人者となってしまう。

 こんなぎやくさつの話だけを聞いていたら,「ルワンダってなんておそろしい国なのだろう」と思ってしまうかもしれない。しかし,じつさいにルワンダの町を歩くと,そのおだやかさにおどろかされる。そしてそうじて治安もいいのだ。

 何よりぼくおどろかされたのは,バスのこくひようがあるこ。日本人の感覚ではこくひようがあるなんて当たり前だと思うだろうが,アフリカではそれはじようしきではない。バスは気まぐれにやってくるものだし,出発のルールは,だいたいの場合が「席がいっぱいになったら」というものだ。
そんな感覚でアフリカを旅していたので,ルワンダでこくひようを見たときはひどくおどろいた。

 首都のキガリでは,ルワンダでかつやくする青年海外協力隊の方にお話を聞くことができた。その方にルワンダ人の印象を聞いてみたのだが,「とても真面目でおだやかなこくみんせい」だというのだ。

 ぼく自身もたくさんのルワンダ人とせつしていて,そのおだやかさははだで感じていた。
  整ったまちみ,せいされたこくひよう,他のアフリカしよこくとはちょっとことなる国,ルワンダ。しかしほんの数十年前のには,せいさんをきわめたぎやくさつの歴史がある。

 時代のしんてんは,人間のしんてんを意味しない。
 文明の発達は,人間の発達を意味しない。

 ある歴史学者が「人間は歴史に学ばない動物だ」という言葉を残していた。残念ながら,人間はそんなものなのだろう。そして人間の心の中には,やっぱりどこかにざんぎやくせいのようなものをめているのかもしれない。人としてのかたも深く学ばされたルワンダの旅だった。

 かえすが,今のルワンダはいたってへいおんで治安も良い。観光客がおとずれても,ほんてきに問題のない国である。きようのある方は,ぜひ一度,ルワンダの地にってほしいと思う。

豆知識

ルワンダ
ルワンダ共和国
首都 キガリ
面積 2.63万平方キロメートル
人口 1,210万人
言語 キニアルワンダ語,英語(2009年公用語に追加され,フランス語に代わって教育言語となったんだよ),フランス語
しゆうきよう キリスト教(カトリック,プロテスタント),イスラム教

もっと知りたい!

ホテル・ルワンダ
2004年にせいさくされたルワンダでの虐殺をあつかったえいで,イギリス・イタリア・南アフリカ共和国の合作。1994年にぼつぱつしたルワンダ虐殺の中で,1200名以上のなんみんを自分が働いていたホテルにかくまった,ポール・ルセサバギナの実話をもとにした物語なんだよ。ルワンダのぎやくさつけんについて知りたい人は,ぜひてみよう。
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