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ザータリ難民キャンプレポート~シリア難民の真実~(ヨルダン)
ザータリ難民キャンプはヨルダンの首都アンマンから北東に約60キロメートルのところにある,ヨルダン国内最大のシリア難民キャンプである。一時期は20万人を超える人数が収容されたこともあり,元々6万人程度の収容を想定して作られたこのキャンプは,すでに限界に達しているという。普通では入ることすらできない,特別な難民キャンプである。
アンマン近郊にあるパレスチナ人の難民キャンプは,誰でも中に入ることができる。しかし,このザータリ難民キャンプはそうはいかない。異常なまでの数のシリア難民が日々流れ込んでおり,キャンプ内の治安も悪化している。そのため,周囲には厳しい警備が敷かれている。
本来であれば,キャンプ内で活動する国連やNGOの関係者でなければパーミッション (入場許可)は取れないのだが,僕は八方手を尽くして,何とかパーミッションを手に入れることができた。
首都アンマンから北へ北へと上がっていくと,その景色は徐々に寂しくなっていく。立ち並ぶ家屋は貧しいものとなり,一面に広がる砂漠からはどことなく郷愁が感じられる。
バスで走ること約1時間。シリアとの国境付近の街イルビット・に到着した。ここで車を乗り換え,一路東へと進んだ。その景色は,首都のアンマンとは大きく異なるものであった。一面に広がる砂漠の中に,そこだけ開墾されたのであろうか,時々緑の植物が生い茂っている。建物はポツンポツンとしか建っておらず,渋滞が続くアンマンの騒がしさが嘘のようである。
ちょっと北へ進めば,そこは内戦が続くシリア。さらにその先はイラクである。「IRAQ」と書かれた道路標識を目にしたとき,どことなく緊張感がみなぎった。
45分ほど走ったであろうか,右側に白い街並みが見えてきた。それはシリア難民のために建てられたテントの群れである。ついに「ザータリ難民キャンプ」にたどり着いた。
メインゲートから中に入る。そこには軍と警察が厳重な警備を敷いており,もちろん写真撮影などは厳禁。行き交う多くの人をかき分けて僕は中へ中へと進んで行った。20万人を超える人が住むザータリ。もはやここは完全に1 つの「街」である。メインストリートには商店が立ち並び,人々は「そこで生きているのが当然のように」生活をしている。
何とも不思議な光景である。まず感じた大きな驚きは,テントの多さである。アンマン近郊のパレスチナ難民キャンプなどでは建物はコンクリートで建てられており,一見するとそれは,僕たち日本人がイメージする「難民キャンプ」ではない。普通の「街」なのである。「難民キャンプ」と名がつく場所は,意外にもそういったところなのだ。
キャンプ内をしばらく走った後,僕たちは車を降り,歩いて人々の様子を見ることができた。
これが,ザータリ難民キャンプ。
家族を失った人も多くいる。家族がまだシリア国内に残っている人も多くいる。命からがらこの地までたどり着いた人も多くいる。そんな人たちが集まる,このザータリ。人々は,いったいどんな表情をしているのだろうか。深刻な表情を浮かべているのだろうか。
しかし,子どもたちはやっぱり「子どもたち」だった。屈託のない笑顔で僕の周りに寄って来る子どもたち。どこの世界に行っても,どんな境遇に置かれても,子どもたちはやっぱり変わらない。この子たちの目を見ていると,どうにかして希望ある平和な世界を築けないものかと思わずにはいられない。
あるテントの中では,一組の老夫婦が身体を休めていた。二人とも疲れ果てた表情で車椅子に座りながら僕の訪問を歓迎してくれた。そしてなんと,「椅子に座りなさい」と,自分が座っていた車椅子から立ち上がり,その車椅子を僕にゆずってくれたのだ。
何という優しさなのか。僕は英語で「大丈夫ですよ。本当にありがとうございます。」と伝えたが,本当に伝わったのだろうか……。それとも,車椅子に座った方が良かったのか……。僕はありがたく,そして申し訳なく,言葉にならない気持ちでそのおじいさんと握手をした。
近くにはおばあさんが座っていた。美しいアバヤ(アラビア半島の国々の伝統的な民族衣装)に身を包んだおばあさん。女性なので写真を撮ることはできなかったが,その表情からは,何とも言えない悲しみがにじみ出ているような気もした。
僕はアラビア語が分からないのが悔しくてしかたなかった。おばあさんは,しきりに僕に何かを語り掛けていた。でも,一言も分からない。僕はただ,うなずくことしかできなかった。そして最後に握手を交わしたとき…僕はなぜか涙が出てきた。おばあさんとは何一つ会話ができない。何を話していたのか,一つも分かっていない。でも,それでもなぜか,その手から伝わってくるものがあった。僕は何も言えなかったけど,ただ,その手から伝わる「何か」を受け止めていた。
「ザータリのトイレを見せてあげるよ。」一人のシリア人がそう声をかけてきた。僕はトイレへと足を運んだ。ブロックが積まれた塀の中に,シャワーとトイレが向かい合って並んでいた。しかし,それはもちろん清潔などと言えるものではない。もちろん電気も通っていない。常に水が足りないこのザータリでは,毎日シャワーを浴びることなど不可能である。
その横にある水道からも,水は出なかった。これが,このキャンプでの生活なのだ。キャンプの中にはいくつかの大きな水道タンクが設置されており,人々はこの水を分け合って使っている。朝この水道タンクを見たときは,人々は列を作って水をくみに来ていた。
難民の生活の厳しさを僕は肌で感じた。この日,僕はあるシリア人のキャンプに泊まっていくことになっていたのだが,驚かされたのはその優しさである。
命からがら逃れてきたはずの人々なのに,その優しさと温かさには本当に驚いた。砂漠の夜は冷えるからと,たくさんの毛布を僕に渡してくれた。そして,食べきれないほどの食事も……。
日本での報道を見ていると,まるで「イスラム=悪」であるかのように報じているものもあるが,それは大変にかたよった報道である。少なくとも僕が見てきたイスラム世界は,穏やかで優しいものだった。ザータリもそうだ。いろいろな事情による治安の悪化こそあるが,人々そのものは愛と優しさにあふれている。
誰も戦争なんて望んでいないのに,なぜか世界から戦争がなくなることはない。
いやそれは,誰かが戦争を望み,導いているからなのだろうか。
ザータリという世界はあまりに多くのことを僕に語りかけてくれた。実はここだけでは伝えきれないほどの出来事があった,このザータリ難民キャンプ。
世界から「難民キャンプ」という存在が消える日は,いつか来るのだろうか・・・。
ヨルダン・ハシェミット王国
首都 | アンマン |
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面積 | 8.9万平方キロメートル(日本の約4分の1程度だよ) |
人口 | 945.5万人(2016年 世界銀行) |
言語 | アラビア語(英語も広く通じるよ) |
宗教 | イスラム教 93%,キリスト教等 7% |
- ▼ペトラ遺跡
- ヨルダン観光のハイライトとも言われている古代遺跡が,このペトラ遺跡。1985年にユネスコの世界遺産にも登録されているんだ。詳細は不明だけど,紀元前1200年頃からエドム人と呼ばれる人たちが住んでいたと推測されている。遺跡全体はとても広く,じっくり見たら丸1日かけても回れないほどだよ。
- ▼死海
- 地中海の海面下より400mも低い位置にある,地球上で最も低い水域にある湖なんだ。ヨルダンとイスラエルの国境にある。海水の約4~6倍の塩分 と,海水の約 100倍の臭素を含むため,生物は生息できない。塩分が高いので,死海に入ると身体は驚くほど浮いてしまう!しかしその水が目に入ると恐ろしいほどの激痛に襲われるので,注意が必要だよ!