中東
レバノン
レバノンという国が教えてくれた,中東の「今」
シリアでの戦争が泥沼化していることは,日本にいても日々のニュースで目にすることができる。しかし,シリアから逃れてきた人々がどのような境遇で生活しているのか,そのリアルをその目で見たことがある人は少ないであろう。
ヨルダンとトルコの国境付近で,僕はたくさんのシリア難民を取材した。過酷な状況の中でも人間らしい優しさを忘れていなかったシリア人の姿に僕は心を打たれた。以来,シリアやその周辺での出来事は,僕にとって他人事ではなくなった。
2016年の末,僕は再び中東を訪れた。目的の国はレバノン,戦争の続くシリアのすぐ隣の国である。
レバノンはここ数十年,戦火の絶えない国である。最近ではレバノンのすぐ南にあるイスラエルと2006年に激しい戦闘があった。その時の弾痕は,今もなお街中に色濃く残っている。
どうしてこのタイミングでレバノンを訪れたのかというと,ある情報を耳にしたからである。それは「パレスチナの二重難民」というニュースだ。
シリアにはたくさんのパレスチナ難民が逃れていた。しかしシリアでの内戦が激化するにつれ,シリア国内のパレスチナ難民も,シリア国内での居住が困難になった。そのためパレスチナ難民が再び難民と化し,周辺国に逃れざるを得ない事態になっているという。
レバノンに逃れたパレスチナ難民は,最初からレバノンに逃れていたパレスチナ難民キャンプに居を構えた。しかしその数がどんどん増えるにつれ,もともと住んでいたパレスチナ難民と「二重難民」としてやってきたパレスチナ難民の間で対立が生じているというのである。
レバノンを訪れた僕は,首都のベイルート市内にあるパレスチナ難民キャンプ2つと,南部のスールという町にある難民キャンプを訪問した。
ベイルートの難民キャンプ。その町並みは貧しさにあふれていた。この写真だけを見せられて「これは今のシリア国内の写真だよ」とでも言われたら,信じてしまうのではないだろうか。そのくらい町中の様子は荒れていた。
僕はこれまでにたくさんのパレスチナ人やシリア人と接してきたが,総じてみんな優しかった。特にトルコとシリアの国境で接したシリア人や,パレスチナ国内で出会ったパレスチナ人などは,本当に温かく僕のことを迎え入れてくれた。だから僕は,シリアやパレスチナは本当に大好きなのだ。それだけに,この荒れ果てた現状に,言葉にならないほどの悲しみを強く感じていた。
ベイルートの難民キャンプではトラブルもあった。途中でレバノン軍の軍人に話しかけられ,身体検査をされたのだが,その際に胸元に付けていた小型のカメラが爆弾かと疑われてしまったのだ。日本ではニュースにならないが,僕が尋問を受けた付近でつい先日自爆テロがあったのだという。
戦争という現実,テロという現実。
それは,この地球上に間違いなく起きている「悲しい真実」なのである。
最後に訪れたスールでの難民キャンプ。しかしそこでは,思いもよらぬ出来事が僕を待ち受けていた。
ベイルートの難民キャンプとは全く異なる空気が,そこには流れていた。キャンプ内を歩き始めてすぐのことだった。「おーい,こっちに来い!」と,ある老人が僕の袖を半ば強引に引っ張り,家の中まで連れていってくれたのだ。そしてたくさんのご家族が僕のことをもてなしてくれたのである。しかもその上,家の中まで案内してくれた。
中東の人々は総じて,日本や日本人のことを良く思ってくれている。それはこれまでの旅の中で何度も体験してきたが,今回もそんな温かいおもてなしに出会うことができた。
だけど,忘れられないことが1つある。
僕の腕をつかんで家の中に入れてくれたおじいさんは,1枚の写真を指差して涙を流していた⑧。習いたてだという英語で,彼のお孫さんだという女の子が通訳をしてくれた。
「おじいちゃんの息子はね,イスラエル兵に殺されたの」
パレスチナの人々は,僕が「日本人」というだけで温かく迎え入れてくれるけど,僕は彼らに,何かをしてあげたわけじゃない。
日本人とは,いったい何なのだろう。
日本人はこれから先,いったい何をすべきなんだろう。
そして僕にできることは,いったい何なのだろう。
パレスチナ人はもともと,イスラエル人との対立によって難民となってしまった。日本人の僕には到底理解できない,深い深い歴史を背負って生きている。
このおじいちゃんは,一瞬だけ息子さんの話に触れたものの,それ以上語ることはなかった。
パレスチナ人だけじゃない。様々な国で,様々な人々が,今も戦火の中にいる。その中で命を育み,今を生きている。
僕はたまたま日本という国に生まれたから平和に過ごしているけど,ただそれだけのことだ。
戦争とはいったい,何と何が争っているのだろうか。
世界中どこに行ったって,どんな状況に置かれている人だって,みんな愛を持って生きていることを,僕は何度も感じてきた。だからこそ,どこかできっと争いは止められるのではないか,と僕は思っている。
おじいちゃんは,ベイルートまで戻るバスの乗り場まで丁寧に教えてくれた。優しさの塊のようなおじいさんだった。
誰も殺し合いなんて望んでいない。それなのに,世の中は何故かそういった方向に向かっていくエネルギーが強烈に湧いてくる時がある。それに負けないように,僕たちは高い精神性と諦めない強さと,正しい知識と物事を見抜く眼を持たなければいけない。
中東。その深い深い空気を,ぜひこれからの若者には一度味わってほしい。それはきっと,世界を平和にする第一歩になると,僕は思っている。
最後まで温かいスールの人に見送られ,僕はベイルートへと向かった。
レバノン共和国
首都 | ベイルート |
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面積 | 10,452平方キロメートル(岐阜県と同じくらいだよ) |
人口 | 約464.8万人(2015年,世界銀行) |
言語 | アラビア語(フランス語と英語もかなり通じるよ) |
宗教 | リスト教(マロン派,ギリシャ正教,ギリシャ・カトリック,ローマ・カトリック,アルメニア正教),イスラム教(シーア派,スンニ派,ドルーズ派)など,18の宗派が存在するんだ。) |
- ▼レバノンとイスラエルの紛争
- 2006年,レバノンとイスラエルとの国境で,イスラエル兵2人がレバノンの武装組織「ヒズボラ」によって拉致され,殺害されたことへの復しゅうとして始まったとされているんだ。イスラエルはヒズボラの拠点であるレバノン南部だけでなく,首都のベイルートにまで激しい空爆を加えた。レバノン側には1200人,イスラエル側には160人の死者が出たと言われているよ。
- ▼パレスチナ人
- 一般的には,パレスチナに元々住んでいたアラブ人とアラビア語を話す人のことを指すんだよ。1948年のイスラエル建国の際,長く住んでいたパレスチナの地を追い出されることになったパレスチナ人は,今でもイスラエルと激しく対立をしているんだ。今ではその多くがパレスチナ自治区に住んでいるよ。
- ▼バールベック神殿
- 長いこと政情が落ち着かないレバノンだけど,目を見張る観光地はいくつもあるんだ。その代表格がバールベック神殿。世界でも有数のローマ神殿の跡で,ユネスコの世界遺産にも登録されているよ。首都のベイルートからは北東に約85kmしか離れていないので,日帰りでも十分訪れることができるんだよ。