03

中米

レバノン

レバノン

レバノンという国が教えてくれた,中東の「今」

 シリアでの戦争がどろぬましていることは,日本にいても日々のニュースで目にすることができる。しかし,シリアからのがれてきた人々がどのようなきようぐうで生活しているのか,そのリアルをその目で見たことがある人は少ないであろう。

 ヨルダンとトルコのこつきよう付近で,ぼくはたくさんのシリアなんみんを取材した。こくじようきようの中でも人間らしいやさしさをわすれていなかったシリア人の姿すがたぼくは心を打たれた。以来,シリアやその周辺での出来事は,ぼくにとって他人事ではなくなった。

 2016年の末,ぼくふたたび中東をおとずれた。目的の国はレバノン,戦争の続くシリアのすぐとなりの国である。  レバノンはここ数十年,戦火のえない国である。最近ではレバノンのすぐ南にあるイスラエルと2006年にはげしいせんとうがあった。その時のだんこんは,今もなお街中にいろく残っている。
 どうしてこのタイミングでレバノンをおとずれたのかというと,あるじようほうを耳にしたからである。それは「パレスチナの二重なんみん」というニュースだ。

 シリアにはたくさんのパレスチナなんみんのがれていた。しかしシリアでの内戦がげきするにつれ,シリア国内のパレスチナなんみんも,シリア国内でのきよじゆうこんなんになった。そのためパレスチナなんみんふたたなんみんと化し,周辺国にのがれざるを得ないたいになっているという。
 レバノンにのがれたパレスチナなんみんは,最初からレバノンにのがれていたパレスチナなんみんキャンプにきよかまえた。しかしその数がどんどんえるにつれ,もともと住んでいたパレスチナなんみんと「二重なんみん」としてやってきたパレスチナなんみんの間で対立が生じているというのである。

 レバノンをおとずれたぼくは,首都のベイルート市内にあるパレスチナなんみんキャンプ2つと,南部のスールという町にあるなんみんキャンプをほうもんした。
 ベイルートのなんみんキャンプ。そのまちみはまずしさにあふれていた。この写真だけを見せられて「これは今のシリア国内の写真だよ」とでも言われたら,信じてしまうのではないだろうか。そのくらい町中の様子はれていた。

 ぼくはこれまでにたくさんのパレスチナ人やシリア人とせつしてきたが,そうじてみんなやさしかった。特にトルコとシリアのこつきようせつしたシリア人や,パレスチナ国内で出会ったパレスチナ人などは,本当に温かくぼくのことをむかれてくれた。だからぼくは,シリアやパレスチナは本当に大好きなのだ。それだけに,このてたげんじように,言葉にならないほどの悲しみを強く感じていた。

 ベイルートのなんみんキャンプではトラブルもあった。ちゆうでレバノン軍の軍人に話しかけられ,身体けんをされたのだが,そのさいむなもとに付けていた小型のカメラがばくだんかとうたがわれてしまったのだ。日本ではニュースにならないが,ぼくじんもんを受けた付近でつい先日ばくテロがあったのだという。
 戦争というげんじつ,テロというげんじつ
 それは,この地球上にちがいなく起きている「悲しい真実」なのである。

 最後におとずれたスールでのなんみんキャンプ。しかしそこでは,思いもよらぬ出来事がぼくを待ち受けていた。
 ベイルートのなんみんキャンプとは全くことなる空気が,そこには流れていた。キャンプ内を歩き始めてすぐのことだった。「おーい,こっちに来い!」と,ある老人がぼくそでを半ばごういんり,家の中まで連れていってくれたのだ。そしてたくさんのご家族がぼくのことをもてなしてくれたのである。しかもその上,家の中まで案内してくれた。

 中東の人々はそうじて,日本や日本人のことを良く思ってくれている。それはこれまでの旅の中で何度も体験してきたが,今回もそんな温かいおもてなしに出会うことができた。
だけど,わすれられないことが1つある。
ぼくうでをつかんで家の中に入れてくれたおじいさんは,1まいの写真を指差してなみだを流していた⑧。習いたてだという英語で,かれのお孫さんだという女の子がつうやくをしてくれた。
「おじいちゃんのむすはね,イスラエル兵に殺されたの」

パレスチナの人々は,ぼくが「日本人」というだけで温かくむかれてくれるけど,ぼくかれらに,何かをしてあげたわけじゃない。

日本人とは,いったい何なのだろう。
日本人はこれから先,いったい何をすべきなんだろう。
そしてぼくにできることは,いったい何なのだろう。

パレスチナ人はもともと,イスラエル人との対立によってなんみんとなってしまった。日本人のぼくにはとうていかいできない,深い深い歴史をって生きている。
このおじいちゃんは,いつしゆんだけむすさんの話にれたものの,それ以上語ることはなかった。

パレスチナ人だけじゃない。様々な国で,様々な人々が,今も戦火の中にいる。その中で命を育み,今を生きている。
ぼくはたまたま日本という国に生まれたから平和にごしているけど,ただそれだけのことだ。
 戦争とはいったい,何と何が争っているのだろうか。
世界中どこに行ったって,どんなじようきように置かれている人だって,みんな愛を持って生きていることを,ぼくは何度も感じてきた。だからこそ,どこかできっと争いは止められるのではないか,とぼくは思っている。

おじいちゃんは,ベイルートまでもどるバスの乗り場までていねいに教えてくれた。やさしさのかたまりのようなおじいさんだった。
だれも殺し合いなんて望んでいない。それなのに,世の中は何なぜかそういった方向に向かっていくエネルギーがきようれついてくる時がある。それに負けないように,ぼくたちは高いせいしんせいあきらめない強さと,正しいしきと物事をを持たなければいけない。

中東。その深い深い空気を,ぜひこれからのわかものには一度味わってほしい。それはきっと,世界を平和にする第一歩になると,ぼくは思っている。
 最後まで温かいスールの人に見送られ,ぼくはベイルートへと向かった。

豆知識

レバノン
レバノン共和国
首都 ベイルート
面積 10,452平方キロメートル(けんと同じくらいだよ)
人口 約464.8万人(2015年,世界銀行)
言語 アラビア語(フランス語と英語もかなり通じるよ)
しゆうきよう リスト教(マロン,ギリシャ正教,ギリシャ・カトリック,ローマ・カトリック,アルメニア正教),イスラム教(シーア,スンニ,ドルーズ)など,18のしゆうそんざいするんだ。)

もっと知りたい!

レバノンとイスラエルのふんそう
2006年,レバノンとイスラエルとのこつきようで,イスラエル兵2人がレバノンのそうしき「ヒズボラ」によってされ,殺害されたことへのふくしゅうとして始まったとされているんだ。イスラエルはヒズボラのきよてんであるレバノン南部だけでなく,首都のベイルートにまではげしいくうばくを加えた。レバノン側には1200人,イスラエル側には160人の死者が出たと言われているよ。
パレスチナ人
いつぱんてきには,パレスチナに元々住んでいたアラブ人とアラビア語を話す人のことを指すんだよ。1948年のイスラエル建国のさい,長く住んでいたパレスチナの地を追い出されることになったパレスチナ人は,今でもイスラエルとはげしく対立をしているんだ。今ではその多くがパレスチナ自治区に住んでいるよ。
バールベックしん殿でん
長いことせいじようが落ち着かないレバノンだけど,目をる観光地はいくつもあるんだ。そのだいひようかくがバールベックしん殿でん。世界でも有数のローマしん殿でんあとで,ユネスコの世界さんにも登録されているよ。首都のベイルートからは北東に約85kmしかはなれていないので,日帰りでも十分おとずれることができるんだよ。