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南米

パラグアイ・ボリビア

パラグアイ・ボリビア

なぜ?こんなところに日本人が!~地球の 裏側 うらがわ の日本人の たましい

 日本から見ると地球の正反対にある国,パラグアイ。日本から行こうと思ったときに,地球上で最も遠い場所にあるこの国に,日本人 移住者 いじゅうしゃ のコミュニティがあることをどのくらいの人が知っているのだろうか。

  • パラグアイとブラジルを隔てる国境の橋
  • イグアス居住区に向かうバスの中
  • イグアス居住区にある日本語の看板

パラグアイは陸地に囲まれた海岸線を持たない国,いわゆる内陸国である。 ぼく はブラジルの フォズ・ド・イグアス(あの有名なイグアスの たき がある町) からパラグアイに陸路で入国した。日本では考えられないことだが, 国境線 こっきょうせん は一本の川の上にある。その中央には,ブラジル,パラグアイとそれぞれ書かれており,ここが国同士の さかい であることがよく分かる。

 「フォズ・ド・イグアスからパラグアイに行くのかい?だったら,イグアス 居住区 きょじゅうく たず ねてみな。たくさんの日本人がいるから,きっとビックリするよ!」ブラジルでそんな 情報 じょうほう を聞いていた ぼく は,パラグアイ側にあるブラジルとの 国境 こっきょう の町,シウダー・デル・エステからバスに乗り,一路西へ向かった。

「42km地点で りたいと言えば バスの運転手はすぐ分かってくれるよ。」 ぼく は聞いた通りに運転手に伝えた。運転手は親指を立て,すぐに ぼく の行きたい先を 理解 りかい してくれた。
予定通り,42km地点で ぼく はバスを りた。するとそこには,とても 奇妙 きみょう な光景が広がっていた。あちこちに 存在 そんざい する日本語の 看板 かんばん ,そして日本語の案内 表示 ひょうじ 。どこまでも広がる赤土の大地の上に 存在 そんざい する日本語は,なんとも不思議な感覚を あた えてくれる。

  • 日本語で書かれた運動会の看板
  • どこまでも広がる広大な大豆畑
  • ラパス地区の日本語学校の子どもたち

町中を歩くと, ぼく はさらに おどろ かされた。町の中心部にある学校で運動会が開かれていたのだが,なんとそこには大きな日本語の 看板 かんばん が・・・! そう,ここは日本語学校なのである。「日本語の文化を後世に残したい」という, 日本人 移住者 いじゅうしゃ の熱い想いの下に作られたこの学校では, 日系人 にっけいじん の子どもたちが日本語を学んでいる。その歴史は50年にも およ ぶ。

  ぼく はすっかり,日本人 移住者 いじゅうしゃ魅力 みりょく にとりつかれてしまった。「 かれ らの歴史や 現状 げんじょう をもっと知りたい。もっと 移住者 いじゅうしゃ の方と話がしてみたい。」そんなことを考えるようになった ぼく は,幸運なご えん をいただいて,さらに別の 移住者 いじゅうしゃ が住む日本人 居住区 きょじゅうく でファームステイをさせていただけることになった。

 その名もラパス日本人 居住区 きょじゅうく 。アルゼンチンとの 国境 こっきょう にもほど近いラパス 居住区 きょじゅうく では,イグアス 居住区 きょじゅうく よりもさらに広大な土地の中にたくさんの日本人が住んでいるのだ。

  かれ らと 寝食 しんしょく を共にさせていただきながら, ぼく はラパス 居住区 きょじゅうく をあちこち 訪問 ほうもん した。日本人のご家庭,日本食のレストランや 居酒屋 いざかや ,日本語学校,そしてなんと日本人の老人ホームまで・・・。すべてが 新鮮 しんせん で,すべてが 衝撃 しょうげき だった。まさか地球の反対側で,日本語の歌をカラオケで歌いながら日本食を食べ,日本酒を飲み,日本人と楽しく日本語でおしゃべりするなんて 想像 そうぞう もしていなかった。
たくさんの「地球の反対側の日本」との出会いがあったが, ぼく の心に一番 さったのは, 移住 いじゅう 一世と ばれる,初代の 移住者 いじゅうしゃ方々 かたがた のお話だった。

  • ラパス居住区にある老人ホーム
  • 日本人のご家族とのお誕生日会
  • ボリビアの日本人居住区,サン・ファン地区のご家族と

  移住 いじゅう の歴史が浅いパラグアイやお となり のボリビアには,まだまだ 移住 いじゅう 一世の方がご 存命 ぞんめい なのである。そんな かれ らのお話は本当に 強烈 きょうれつ で,時に なみだ しそうになるほどのものであった。
ジャングルをその手1つで ひら き,農地を 開拓 かいたく し,そして成功を おさ めていったその歴史・・・。 だれ たよ るのでもない, たよ れるのは おのれ の身体1つ。原生林には 猛獣 もうじゅう もおり,大量の虫と戦い, 現地 げんち の言葉であるスペイン語を身に付け,今の ぼく たちには 想像 そうぞう もつかないようなご苦労をされて, 現在 げんざい の日本人コミュニティをつくり上げてきたのである。

  ぼく はすっかり,日本人 移住者 いじゅうしゃ魅力 みりょく にとりつかれてしまった。「 かれ らの歴史や 現状 げんじょう をもっと知りたい。もっと 移住者 いじゅうしゃ の方と話がしてみたい。」そんなことを考えるようになった ぼく は,幸運なご えん をいただいて,さらに別の 移住者 いじゅうしゃ が住む日本人 居住区 きょじゅうく でファームステイをさせていただけることになった。

  ぼく は言葉を失いながら,その話に聞き入っていた。そして, かれ らは日本に住む ぼく たち日本人よりも,はるかに「日本人」であると ぼく は感じた。
どうして ぼく がそう思ったのか。それは かれ らが持っている「日本人としての 意識 いしき の高さ」に きる。 移住者 いじゅうしゃ方々 かたがた の「日本」を愛する気持ちは本当に強い。それは言葉であり,食であり,生活 習慣 しゅうかん であり,そのすべてを ふく んでいる。 かれ らはそれらに強い ほこ りを持ち,愛し,後世につないでいるのである。
日本に住んでいると,それらはすべて当たり前に 存在 そんざい するものであり,特別な 感情 かんじょう くことなどほとんどない。だが,日本から最も遠い南米大陸に 移住 いじゅう し,すべてをゼロから開発していった 移住者 いじゅうしゃ方々 かたがた にとっては,それらは たましい どころ だったという。
あるおじいさんが言っていた。「最初は日本に帰りたいと思ったよ。でも, おれ たちは日本人としてこの地にやってきた。 簡単 かんたん には帰れない。お たが いに はげ まし合い,助け合い,ここまでやってきた。同じ国から来た仲間の きずな は本当に深いんだ。」と。
かれ らは日本の文化と日本人の仲間を心から愛し,本当に ほこ りに思っている。それこそが,日本人としての たましい なのだろう。

 しかし続けて,こんなことも言っていた。「今の日本は 大丈夫 だいじょうぶ かい? おれ たちは毎日日本のニュースを見ているけど,心配でならないよ。」

 どうしてそう思うのか, ぼく たず ねてみた。するとその答えは,「今の日本の 若者 わかもの意欲 いよく はあるのかい? ニートとか引きこもりという言葉をよく見るし,自殺者も多いと聞く。 おれ たちは,生きるか死ぬかの思いでこの地で生きてきた。だから,今の日本はどうなっているのか,心配でならないんだよ。」というものだった。
ぼく は深く考えさせられた。 ぼく はこれまで日本人として生きてきたけど,日本人であるとはいったい何なのだろう。そして,今の日本に欠けているものとは何なのだろう,と。
地球上で最も日本から遠いパラグアイには,地球上で最も熱い日本人が住んでいる。 ぼく はそう感じた。 たし かに気軽に おとず れることができる場所ではない。しかし, ぼく はぜひとも多くの方に,この南米の日本人 居住区 きょじゅうく おとず れてほしいと思っている。
この地が ぼく たちに教えてくれることはあまりにも多い。それは, ぼく たちが わす れかけている大切なものを, ふたた び思い出せてくれるのではないだろうか。

 この記事を読んで,パラグアイや南米に 興味 きょうみ を持ってくれる人がいたら,ぜひ 将来 しょうらい ,一度その地を んでみて下さい。きっとそこには, 想像 そうぞう をはるかに えた感動と学びと 衝撃 しょうげき が待っていてくれるに ちが いありません!

豆知識

ボリビア・パラグアイ地図
※2014年 世界銀行 資料 しりょう より
パラグアイ共和国
首都 アスンシオン
人口 692万人(2014 年現在 ねんげんざい
言語 スペイン語,グアラニー語
ボリビア共和国
首都 ラパス
人口 1,005.9万人(2014 年現在 ねんげんざい
言語 スペイン語,ケチュア語など36言語

もっと知りたい!

イグアスの たき
南米アルゼンチンとブラジルの 国境 こっきょう をなす世界最大の たき はば は約4㎞,高さ約80mで,世界最大の落差があるんだ。
たき の両側は国立公園に指定され,世界 遺産 いさん に登録されているよ。
「イグアス」は,先住民族のグアラニ族の言葉で「大いなる水」という意味なんだ。
日本人 移住者 いじゅうしゃ
農業を いとな む多くの日本人は,国土のせまい日本を ばな れ,広大な土地を持つ南米へ 移住 いじゅう したんだ。1936年にパラグアイへ最初に 移住 いじゅう した人たちは, 現地 げんち の人の協力も得られず,当時は何も無い土地で,森を切り開いて,作物を育てるには, 想像 そうぞう ぜっ する苦労があったというよ。でも,まじめに働く日本人の 姿 すがた は,次第に 現地 げんち の人に受け入れられていったんだ。
2016年は 移住 いじゅう してから70周年を むか え, 現在 げんざい でも約5,600人の日本人と 日系人 にっけいじん が住んでいるよ。
世界第4位の大豆 輸出 ゆしゅつ 国(2014 年現在 ねんげんざい
農業で 移住 いじゅう した日本人は大豆の 栽培 さいばい を初めて行い,それを 大規模 だいきぼ に生産, 栽培 さいばい できるようにしていったんだ。
今では,その方法がパラグアイ全土に広まり,大豆の生産で世界第6位, 輸出 ゆしゅつ は世界第4位の国になったんだよ。
地球の 裏側 うらがわ でも日本人が 活躍 かつやく しているんだね。
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