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南アフリカ

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アパルトヘイトを知っていますか~今なおそんざいする黒人きよじゆう~(南アフリカ)

 アフリカだけの話ではない。でも,アフリカ大陸を旅することでとても強く感じたことがある。

 それは,今でも明らかに残る人種差別。

 アフリカ大陸だけの話ではない。しかし,特にアフリカにおいては,アジア人という人種は少なからず人種差別の対象であるということを強く感じさせられた。

 アフリカを旅していると,いつも言われる言葉がある。それも道ですれちがいざまにさけばれたりする。「ヘイ,チャイニーズ!」とか「ニーハオ!」とか。
これはあくまでぼくすいさつではあるが,アフリカの方にとっては「アジア人」の顔を見ても,どこの国の人なのかなど区別はつかないだろう。日本人だって,いわゆる黒人を見たときに,どこの国の人かなんて分からない人が大半だろう。

 世界中どこに行っても,ちゆうけいの人々はそんざいする。どこかのテレビ番組ではないのだが,「まさかこんなところに?」というところにもちゆうけいの人々はきよかまえている。

 だから,とりあえずアジア人の顔を見たら「チャイニーズ!」だし,「ニーハオ!」 なのである。りつで言ったらあつとうてきに中国人が多い上に,特に近年中国人のアフリカへの進出はすさまじいものがあるから,当然そうなるのだろう。

 しかし,問題はそこではない。問題は,アジア人であるぼくの顔を見て言葉を投げかけてくる人たちの中には,「チン・チョン・チャン」のような,中国語の発音をまねて小ばかにするように声をかけてくる人たちが少なからずいることである。
 その言い方に問題のこんげんがある。かれらは明らかに,アジア人であるぼくらのことをからかうように「チン・チョン・チャン」と言ってくるのである。
かれらはだいたいそう言うと,走ってげていく。自分が何をしているのか分かっているのだろう。

 そのようなことを何度も体験しながら,ぼくはアフリカ大陸をじゆうだんし,この南アフリカまでやってきた。ただ,かいまねかないように付け加えておくと,もちろん全てのアフリカの方がそのような言葉をかけてくるわけではない。りつとして多く感じたのは事実だが,ほとんどのアフリカの方は温かくて陽気で良い人たちばかりである。そのこともぜひ伝えられたらと思う。

 南アフリカに来たぼくの目的の1つ。それは「タウンシップ」とばれる,いわゆる「有色人種のきよじゆう」をおとずれることであった。

 ここはかつて南アフリカにおいてアパルトヘイト(人種かくせいさく)が行われていた時に,白人と区別して黒人やその他の有色人種たちが住まわされてきた地区である。場所にもよるが,決して治安の良い地区ではないので,じんで中に入ることはほんてきにできない。ぼくげんのガイドにお願いをして,タウンシップに足をれた。

 予想とはうらはらに,そこにはおだやかな光景が広がっていた。せんたくものすお母さんとじやに遊ぶ子どもたち。パッと見た感じでは,それはだんの一風景のようであった。
しかしだ。ぼくが子どもたちに近付くと,かれらは例の言葉を投げかけてきた。
「チン・チョン・チャン!」
その言葉をてるようにぼくにぶつけると,かれらは走ってげていった。ひどい子どもになると,ちよくせつかかったわけではないが,つばを飛ばしてきた子どもまでいた。

  いつの世も,子どもなんてそんなものなのだろう。
しかし,それでいいのだろうか。
かれら黒人たちは,つらく苦しい歴史をかかえている。子どもたちは白人たちかられい的なあつかいは受けていないだろうが,そのえいきようが残る社会にかくじつに生きている。このタウンシップがまさにそうだ。

 がれた「心のきず」は,きっとたましいのどこかに残っているはずである。差別をされたり不当なあつかいを受けたり悪口を言われたりへんけんを持たれたりすることが本当につらいことは,かれらが一番分かっているはずである。

 しかし,今その子どもたちは,ぼくらアジア人を見下げるようなそぶりをし始めているように見受けられた。自分たちが受けた苦しみを,他民族・他人種に向けてしまっているのかもしれない。これはじようしんこくなことである。

 ぼくはタウンシップのおくおくへと足を進めた。すると,最初に感じたのどかなだんのような風景はごく一部であり,そこにはこくかんきようで生きる人々の姿すがたがあった。
今にもくずれてしまいそうなバラックの家々,せんされて真っ黒になった川とそこからただよあくしゆう…。

 アパルトヘイトがはいされてからかなりの年月がたつ。しかし,この南アフリカには,まだまだ,どうしようもない差別のげんじつが取り残されていた。

 おどろかされたのは,タウンシップの中だけではなかった。ケープタウンの町中にもどるために車に乗って外をながめていると,タウンシップは見事なまでにさくに囲まれてかくされており,明らかにじんてききよじゆうが作られていることが分かった。

 さらに,車で十数分走ると…。
そこにはきれいではなやかなショッピングモールがならんでいた。

 その2つの世界をくらべてみると,なんとも言えない感覚におそわれる。このかくはいったい何なのか。せんされたドブ川の横にバラックがならぶ黒人たちのきよじゆうから,車でたったの十数分。これほどまでにちがう世界があるとは…。

 南アフリカの教えはあまりに深かった。今なお残るアパルトヘイト<のきずあとかくげんじつ,今まさにそこにある差別の心…。

 日本もこれから,さらにたくさんの外国人がやってくる社会に変わっていくと言われている。そのような中で,わたしたちはどのような心を持つべきであろうか。人間である以上,いつさいへんけんや先入観を無くすことはのうではあろうが,それを少なくすることはできると思う。少しでも差別のない社会のじつげんに向けていったい何ができるのか,一人ひとりがしんけんに考えていく必要があるだろう。

豆知識

南アフリカ
南アフリカ共和国
首都 プレトリア
面積 122万平方キロメートル(日本の約3.2倍だよ)
人口 5,590万人(2016年:世界銀行)
しゆうきよう キリスト教(人口の約80%),ヒンズー教,イスラム教など

もっと知りたい!

アパルトヘイト
南アフリカ共和国で 1991年6月まで続いた白人と有色人種とを差別する人種隔離せいせいさくのことだよ。白人のぜつたいてきゆうぜんていに,せいけいざい・社会・文化など,あらゆる分野にわたってはくじんを差別していたんだ。
アパルトヘイトのもとでは,有色人種の参政権はみとめられず,しゆうだんいきほうによって各人種のきよじゆういきぶんしたんだ。はくじんには身分しようめいしよその他をさいした照合手帳のじようけいこうづけ,白人と有色人種とのこんいんきんするなど,げんかくな人種差別せいさくがとられていたんだよ。
ネルソン・マンデラ
南アフリカ初の全人種参加選挙をだいとうりようしゆうにんした,伝説的なせいだよ。わかいときから反アパルトヘイト運動に身を投じ,1964年には国家はんぎやくざいで終身刑のはんけつを受けたんだ。27年間におよごくちゆう生活の後,1990年にしやくほうされる。よく1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長にしゆうにんし,その後アパルトヘイトのてつぱいじんりよくしたんだ。1993年にはノーベル平和賞を受賞しているんだよ。