中米
メキシコ
先住民族の村を訪れるということ。(メキシコ・グアテマラ他)
先住民族」という響きが僕は大好きだ。どういうわけだか分からないのだけれど,小さい頃からなぜか大好きだった。
だから僕は,世界一周放浪の旅に出る前に必ず先住民族の村を訪れようと心に決めている。今回はそんなメキシコの村の話である。
ベリーズからメキシコに入国した僕は,サンクリストバル・デ・ラス・カサス(旅人の間では,略してサンクリと呼ばれている)にたどり着いた。このサンクリの周辺にはマヤ系の先住民が多数存在しており,今なお昔ながらの伝統の中で生活を営んでいるという。
調べてみると,いくつかの村には自力で訪れることができるということだった。しかし,より深いところまで入り込みたいと思っていた僕は,ある旅行雑誌に載っていた,日本の某大学がフェアトレードでコーヒービジネスを行っているという,小さなコーヒーのお店を訪ねてみることにした。その名も「マヤビニックコーヒー」。
メキシコにたどり着くまでにそれなりの旅と取材の経験を積んでいた僕は,現地の日本人と出会える可能性のある場所で聞けば,必ず新しい道と出会い,貴重な情報が得られることを学んでいた。
そして今回も,新しい道がズバッと開けた。僕は現地でマヤ系先住民の方々と綿製品のビジネスを行っているIさんという日本人の方と知り合うことができた。
僕は自分の旅や教育への思いについてIさんに熱く語り,「また明日から先住民の村々に行くから,ぜひ一緒に行きましょう。」という機会をいただくことができた。
翌日,僕はIさんの車に同乗させていただき,いくつもの先住民の村を訪れた。僕は世界の歴史を悲観的に見ている面があって,歴史なんてものは残念ながら戦争の繰り返しが築き上げた皮肉なものだと思っている。だからなのか,特に近代における略奪と植民地の歴史を繰り返した先住民族に,ものすごく思い入れがあるのである。
最初に訪れたある村で,僕は2つの衝撃を味わった。1つ目は,白人社会が持ち込んだ価値観と現地の伝統が融合してつくられた独特の世界観である。
彼らの宗教はほぼ全員がキリスト教カトリックである。それに現地の信仰が結び付き,独特のキリスト教の雰囲気を生み出しているのだ。何より驚いたのは,コーラ信仰である。なんとこの土地のキリスト教では,炭酸飲料が神的なエネルギーを持つものだと信じられているようで,教会の中ではたくさんのコーラがささげられていたのだ。これには驚いた!
教会の外では,キリスト教の儀式とは一線を画す,現地の伝統的な儀式が催されていた。その様子を僕がカメラに収めようとすると,Iさんは強いけんまくで僕に言い放った。「ここでの撮影は一切禁止だ。外国人が来ると,担当の人間が必ずどこかで見ているからね。もし見つかると本当に厄介なことになる。注意してね。」
内心,「なんだよ,写真くらい撮ったっていいじゃないか」と僕は思ってしまった。しかし,これはよく考えなければいけない問題だった。
それこそが,2つ目の衝撃である。
先住民族によって,写真を撮ることに抵抗感の全くない村と,強烈なまでに拒絶する村がある。一概にどうこう言うことはできないが,外国人が「先住民族の村を訪れるということ」の意味を僕は強く考えさせられた。
それはメキシコに限った話じゃない。世界中すべての場所において,僕は同じ思いに駆られていた。
もし,自分に置き換えてみたら,もし,自分がその村の住人だったら・・・。得体の知れない外国人がドカドカやって来て,バシャバシャと写真を撮りまくる。村の住人からすれば当たり前の日常に,これでもかとカメラを向けられる。こんなことをされて,気持ちがいいものであろうか。いや,そんなことはない。少なくとも,僕は不愉快だ。
でも,そこで複雑な現実を知ることになる。貨幣経済が地球上の隅から隅まで行き渡っている現代社会において,お金を落としてくれる外国人は大切な存在だ。いわゆる開発途上国,あるいは新興国と言われている先住民族の村を訪れることができる人間は,先進国の限られた人間である。それなりのお金も持っている。つまり,現地の村人にとっては貴重な収入源でもあるのだ。
グアテマラのある先住民の村を訪れたとき,カメラを向けた瞬間に村の女性がみんな反対を向いてしまったことがある。そこに笑顔はまったくなかった。
アメリカでネイティブアメリカンの村を訪れたときは,カメラを向けた瞬間に激怒された。その怒りはすさまじく,家から男性数人が飛び出してきて一斉に僕に文句を言ってきた。あまりの迫力に僕はたじろいでしまい,冷静に言葉を返せなかったことを覚えている。
ノスタルジーな雰囲気を求めて,あるいはワクワクする冒険を求めて,先住民族の村を訪問したいと思っている旅人は少なくないであろう。
しかし,僕は思うのだ。それは本当に正義なのかと。
それは現地の観光資源ということになるのか。それとも先進国の人間の身勝手な行為なのか。それとも,そんなことを考えること自体がナンセンスなのか。
言葉の問題もあり,彼ら一人ひとりの本音を聞いたことはない。しかし,僕には常に引っかかるものがある。
私たちはついつい,自分たちの都合の良い方に物事を解釈してしまう,弱い人間という生き物である。だからこそ,僕は今一度考えるべきだと思っている。同じ地球という星に住む,人間という仲間だからこそ・・・。
メキシコ合衆国
首都 | メキシコシティ |
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面積 | 196万平方キロメートル(日本の約5倍もあるんだ) |
人口 | 約1億2,701万人(2015年,国際連合) |
言語 | スペイン語宗教 カトリック(国民の約9割が信じているよ) |
宗教 | カトリック(国民の約9割が信じているよ) |
- ▼サンクリストバル・デ・ラス・カサス
- メキシコ合衆国チアパス州にある都市。標高は2100mもあるよ。市の名称は,スペイン人によるアメリカ大陸への侵略行為に異を唱えたスペイン人のカトリック教会司祭,バルトロメ・デ・ラス・カサスにちなんで名付けられたんだ。
- ▼フェアトレード
- フェアトレードを直訳すると,公平な貿易ということ。現在のグローバルな国際貿易の仕組みは,開発途上国の人々にとってはアンフェアで,貧困を拡大させる原因にもなっていると考えられているんだ。 フェアトレードとは,開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより,立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」のことなんだよ。